昭和44年02月16日 朝の御理解



 御理解 第19節
 「金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる。」

 金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる。いわゆる金光大神が御在世の時に、これはお言葉ですから、ね、金光大神といわば天地金乃神がどこにでも、どっからでも拝まれるけれども、金光大神は備中の大谷にしかおらんとも言うておられます。だからお参りをしてくると神様はどこからでも拝まれるけれども、金光大神に会おうと思えば、備中大谷に来なければ会えんという意味の事も言うておられます。
 その金光大神が形がのうなったら来てくれと言う所へ行ってやると言われる所に、所謂御神霊とでも申しましょうかね。教祖様のお魂とでも申しましょうか、それは私共の祈る所願う所に立ちどころに現れて下さる、そこへ行って下さるそういう働きのお出来になる事を確信しておられたという事が分かります、ね。まさかの時には天地金乃神を言うに及ばぬ。金光大神助けてくれと言えば助かけてやると申される。
 昨日、ここに「かんのだ?」さんという方がお参りをして参ります。その方のお母さんがお参りをして見えて引き上げて帰って、ね、小石原ね焼き物の出来る小石原に引き上げられた。まあ大変な難儀をなさったらしいですね、全然まっあちらの山の中の所で間借りをして、それで食べる物を作らなければならんので、孟宗屋根を刈ってそこを開いてそれから段々、山の段々畑を作ってもう雨が降れば、もうようやく作ったのが。
 一遍にもう押し流れてしまうと言った様な中に、石段を一段一段積み上げて段々畑を作って唐芋を作りました。その唐芋が一年二年はね、ほんなひげ根のようなのだけしか出けなかった。それでも村の人達は醵出をその逼ったとこう。醵出をしてくれと言うてその、親戚から借りてからでも醵出してくれと言うて、そういう難儀な中に初めて甘木の金光様にお導き頂いて、お参りしたのが初めてだと、こう言われております。
 もう全然百姓もした事がなかった人が百姓するやらもう山へ。主人は「いのうてこう肥え上げら」肥えやら持って登るけども、私はでけんから小さい桶を一つずつ持って、こう段々畑を一段一段こうやって上げてその肥え運びをしたと。もう大変な苦労でしたと言うてその苦労話をされる中にです。ある時に肥え担桶を持ってですねこう上の段にこう上がろうとしよった時に、自分の組んである石が崩れて下の崖に落ち様とした。
 もう肥え担桶を頭から被らんばっかりの時にですね、もう金光様と言うたらね体がこんなん斜めになったまんま止まったち。もうこの神様は本当に一心にすかりゃどげなこってん頂かれる、ほんに神様ちそん時思いましたち言うてからその、その時の事をまあ実感持って話しておられます。そうですよねいわゆる金光大神と言う所へ形がのうなったら、行ってやると仰る。そういう体験は沢山皆さんが持っておられますね。
 金光様、形がのうなったら来てくれと言う所へ行ってやる。そこで私はその、この19節ってのは初めて頂くような感じを致しますね。まだ頂いて無いような気がしてます。その19節をこう頂かせてもろうてから思う事なんですよね。金光大神様がね、来てくれと言う所に行ってやると仰るのではなくて、いつも私の側で働いて下さるという信心がもっと尊いと思うのですよ。
 もう行住、いわゆる坐臥です。ね、いつも私の所へ生神金光大神の働きがいつもあっておるんだと。皆さんが、それこそ、まあ空念仏的な人もあるけれども、金光様、金光様、金光様とこう唱え続けさせて頂いておる。思いだすようじゃ惚れようが薄い、思い出さずに忘れずにと言うように、もういつも自分の心の中に金光大神が宿ってござる。ね、そういう信心が私は有り難いとこう思うのですね。
 昨日も話しましたが、この泉尾の先生の事が出ております。もう本当にいつも、所謂金光大神が側におられるという感じですね。朝お起きになる時からお供をして、一日側で御用をされる方がおられる。その方達二人がこの泉同人という、この本を作られる方達と一問一答が、親先生の事について一問一答をなさっておられる所が書いてございます。毎朝、5時15分にお起きになるそうですね。
 5時15分それからちょうど、あの金光様と同じですね。お提灯を点けられて、そしてずっとこう進んであの、神宮という、いわゆるお広前、あの祈りの塔ち言うのがあそこにはあるんでね高ぁいと。祈りの塔の前で御祈念をされる、そして神宮へ来て御祈念をなさるらしい。そのまあお提灯を足元にお照らし申し上げるその、心もとない自分の事を反省しながらその、話しておられますね。
 中村さんという方らしいんですね。尋ねに対して答えておられるのに、お供なんてお供、お供でなくて私の方が親先生にお気を使わせています。何もお供らしいお供は出来ていません、申し訳ない、相済まん事であります。司会の方が言ってます。親先生はお供をされる貴方に何か仰いますか、えー中村さんが言うておられます。何と言って、「別ざん?」にでも親先生は始終合掌されて、ご苦労様、有り難うございますと仰せられ、その後は有り難うございます、有り難うございますと仰せられて歩かれます。
 司会。その親先生の一歩一歩の有り難うございます、有り難うございますと仰られるのはどういう事として貴方は、御自身頂いておられるのですか。中村さん、その御意味はよく分かりませんが、御参拝の時だけではなく、親先生はどんな時でも有り難いと受けておられるように思われますから、御参拝の一歩一歩のお歩きの時の中にも、有り難うございます、有り難うございますというて、通されておられるように思います。
 その通りですね、もう一人の方が言うておられます。同時にその有り難うございますの中に、強いお祈りが込められていると思います。信仰への感謝と祈りに満ちるものに、との思いの強さの現れと思いますと。ですから、取り立ててどうということを言うておられる訳じゃないですけれども、もういつも金光様、金光様、有り難うございます、有り難うございますという風に見受けられるというのですね。
 先ほど色々書いてあるのを思わせて頂いて、いわゆる寸分の隙のない、いつも絶えず先生の心の中に金光様がお在りになるという感じですね。ただ空念仏的にですね、金光様、金光様と唱えておる人はありますけれども、本当にそこにいつも金光様が働いてござるんだなあと。これは私がここで修行される方達に以前よく申しましたんですけれども。得に私の周囲で御用頂いて下さる方達に、ね。
 あなた方もやはりおかげを受けてもらわなならんのですからね、私が例えば、ここを下がらせて頂いた時、どんな場合でも、どんな時でも、ね、もし私に隙がある時には切り込んで来なさいというような意味の事を申しました。いつどこにおっても、誰が何時どういう大変な願い事に、なら寝ながらの時でも、その、その場合で私御神意を伺えるといったような時には、もう隙がない時ですね。
 これは、去年の一月号の新聞にあの、栄四郎が書いておりました新聞の中にも、何かそんなような事が書いてありましたですね。いつも親先生とお風呂に入って、ね、親先生はもういつもその、金光様有り難うございます、有り難うございますと言われる。親先生の心の中には、金光様が宿っておられると思いますという事を書いてあります。いわゆる、あの私の一番下の子供が、私を見る金光様なのですね、いわゆる。ね、
 それは私共と、まあ泉尾の先生あたりというのは、比較のならん金光様でございましょうけれどもです、ね。そこに本当にいつでも隙のない信心という事が、私は今日は大事だという事なのです。金光大神は形がのうなったら来てくれと言う所に行ってやる。本当にいよいよの時に金光様を忘れて、ね、例えばちょっとどうかあると、まあ医者だ、薬だという方を先にするような事がお互いあったり。
 いざという時には金光様が出ていなかったり。ね、いかに金光様が遠い所におられるかという事が分かります。本当一つ金光大神は形がのうなったら来てくれという所に行ってやるというお約束をです。いつも来て頂いてそんなら私のとこだけ金光様が来てござるから、もう他の所はお留守になっとると言った様な事のあろうハズはないのです。それこそ、千にも万にも、金光大神はお働き出来られる。
 、御神徳を御持ちなのでございますから、ね、その自分自身の心の中に、金光様がどの程度に、どのように生き生きとしてお働き下されてあるかと。何時でも何処ででも金光大神のお取次ぎの、おかげを頂かれるかそれは道で肥えを、道を歩いておろうが畑で肥えをかけておろうが同じだと思うですね。肥えを肥え担桶と持ちながら、まさに肥えを被ってその、崖に落ちなければならない時でも、ね、金光様と出た時に、ね。
 不思議な事には自分の体が斜めになりながら、後ろに落ちなかったと言う様なですね、私はおかげも頂けれるんだと、ね。ですからそのまさかの時にはとか、そういう時に金光大神が出るという事も有り難いんですけれども、その金光大神がいつも私の心の中にある。しかもそれが生き生きと働いておって下さると。いつでもお取次ぎを頂けば、そこでお取次ぎの働きがです。
 その場で言うならお互いの御用させて頂いておる、まあ働きの現場においてでもです、金光大神のお取次ぎを行住、いわゆる座臥ですかね。常住いつでも頂けておれれる、おかげの受けられるような信心をしたい。目の詰まった信心と言うけれども、そういう信心の目の詰まった信心と言うのじゃなかろうか。それこそ何時、どこからでも打ち込んでこられても、それをパッと、言うならば確かに三寸で身がかわせれるぐらいな信心をですね、頂きたいもんだと思いますね。
   どうぞ。